千鳥大悟の衝撃な過去とは⁉子供時代の貧乏エピソードや転機【ノブナカ】

芸能関係

2022年8月24日に放送の「ノブナカなんなん?」に療養中の千鳥ノブに代わり、相方の大悟が緊急参戦しました。

夏の大密着スペシャルという事で、電気ガス水道0円生活の家族を密着していました。
酷暑の中エアコンなしの生活をしていて、水を桶で運んできたり、自給自足の生活をしていました。

その暮らしぶりを見た大悟が、
「子供の頃のワシ見てるみたいや」と共感していたので、彼の幼少期がどんな生活だったのかが気になりますよね。

千鳥大悟の子供時代の育った環境や、どんな生活をしていたのかを、一緒に調べてみましょう。

1.大悟の住んでいた島の話

千鳥大悟は岡山県の北木島で生まれ育ちました。
人口650人ほどの自然豊かな小さな島で、当時信号もコンビニもバスやタクシーもありません。

初めて島で自動販売機が出来たときは行列ができたそう。
島の人たちが買い物に行く際、移動手段は船のみ。

島で住む人たちのほとんどが「雇い主」と「雇われ主」だという島社会で、双方で貧富の差がはっきりしていたそうです。
大悟の父親も「雇われ主」の側でした。

2.子供時代の貧乏エピソード

 

大悟さんが話していた貧乏エピソードについてです。

幼少期は家が小屋みたいで、自給自足のような生活をしていました。
しかし父親が楽しい人で、いろんなものを作ってくれたそうです。

①トイレやお風呂は手作りだった

トイレは地面に深い穴を掘って板を2枚渡して、ベニヤ板で壁を作っていたと言います。

お風呂もベニヤ板で囲っていたそうで、さすがにそれは恥ずかしいと父親に訴えました。
するとペンキを買って来て、お風呂屋さんみたいに壁に富士山を描いてくれたそうです。

発想が面白いお父さんですね。

②車が欲しかった件

車が欲しいと父親に言ったところ、(バイクの)カブの荷台にダンボールを積み、海で釣ってきた冷凍タコなどを入れて出て行き、ボロボロの車と交換して帰ってきたそうです。

田舎ならでは(⁉)の物々交換とは言え、車を持ち帰るとは家族も驚いた事でしょう。

そしてその車で家族で初めてのドライブに行きました。
島には信号がないので曲がり角でクラクションを鳴らしたら、クラクションが鳴り止まなくなり、島の人たちに車を自慢して走ってるみたいになってしまいました。

貧しかった子供時代を笑いに変える大悟さん。
そんな子供時代の彼に、将来を大きく変える出来事がありました。

3.転機となった衝撃な出来事

まだ小学生だった大悟さんが、父と船の上で釣りをしている時の事でした。

若いお金持ちが乗ったクルーザーがやって来て、
『お前みたいな貧乏人がこんなところで偉そうに釣りをするな』
とボロボロに言われたそうです。

クルーザーが去って行った時に、その時の父親から
“大悟に何を言ってくれるんだろう、これで俺の人生が決まるな”
と思いました。

その時父から思わぬ言葉が返ってきたのです。

大悟の父親は、くしゃくしゃの顔で振り向いて
『お前はあぁなれよ』と言ったそうです。

「で、僕は一か八か勝負して芸人になると決めた」と当時を振り返っていました。

自分の子供には同じ思いをさせたくないという想いがあるからなのか、『お前は大きくなったらすぐ島から出て行け』と小さい頃から言われてたそうです。

父との切ないエピソードがあるからこそ、今の大悟さんの活躍があるのですね。

4.まとめ

千鳥大悟さんの子供時代のエピソードは衝撃的でした。
生まれ育った島での貧乏な生活も、楽しい父親とのいい思い出となっていますね。

辛い事も含めてそんな時期があったからこそ、貧しい生活に共感できたり、その生活を楽しんだりできる術を知っているのだと思います。

”釣り事件”以来、子供の頃から芸人になると決めて、今やテレビで大活躍の千鳥大悟さん。
独特な岡山弁で、これからも「クセがすごい」活躍が期待されますね。

 

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